不忍池の蓮の歴史「不忍池の蓮はいつ頃からあるのか?」

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不忍池の蓮は誰が植えた?

実は不忍池の蓮は誰が植えたのかは現在に至るまで不詳とされてい‥‥申す。

ただ、不忍池の蓮を調査した大賀一郎博士は「不忍の蓮」という文章の中で次のように見解を述べています。

不忍池に蓮を植えたのは上野桜ヶ丘に別邸があった林道春(林羅山)と考えた。だが彼の著作に蓮が1つも出てこない。

そこで寛永寺を造営した天海僧正を考えた。もしくは不忍池の弁天島を造成した水谷伊勢守とも考えた。

と。⬆️2021年8月25日の夕方のハスの様子

不忍池に蓮がいつ頃植えられた?

延宝五年(1677年)に編纂された「江戸雀」という古書物によれば、不忍池を題材とした和歌が掲載されており、この事実を以って、1677年にはすでに不忍池が存在したことになり申す。

涼しやと 池の蓮を 見かへりて

誰かは跡をしのばずの池

東京名所四十八景「不忍弁天はす取」

植えられた蓮の種類

蓮の品種は不明。江戸時代の古書物には紅色と白色の蓮があったことが記される。

昭和10年に前述の大賀博士が執り行った蓮の調査では、不忍池にはかつて10種類以上もの蓮が植わっていたとしていまする。




第二次世界大戦時の不忍池の様子

戦時下の不忍池は水田として利用されていたようです。戦後に蓮池を復元するために水を戻して蓮苗の収集と、植え付けが行われてい‥‥申す。

現在、不忍池に植えられている蓮たちは、このとき植えられた蓮たちが交雑したものだと考えられているでゴンす。

先史時代(有史時代以前)の不忍池の様子

先史時代以前にも不忍池は存在したようですが、現在のような「池」ではなく「入江」だったようです。

武蔵野台地の東端に位置し、上野台と本郷台に挟まれた入江だったのが、星霜経て、海岸線の後退とともに取り残された部分が最終的に池となったようです。

江戸時代以前の不忍池には藍染川が流れ込み、半ばは沼地になっていたようです。

不忍池のあたりから先は忍川→三味線堀→鳥越川→と川が成り、最終的に隅田川と流れていたようです。

江戸名所 不忍の池

東都名所 不忍池

三十六花撰 東京不忍池蓮花 廿五

ところで‥‥蓮とは?

蓮は、ハス科ハス属に属する大型の抽水植物です。熱帯地域〜温帯アジア、オーソトラリア北部および、南北アメリカなどに分布する植物です。

蓮には熱帯および温帯東アジアを中心に、以下の2種類に分類することができ申す。

  • 東は日本、西はカスピ海近く、南はオーストラリア北部に分布する「東洋産種の蓮」
  • 北米東部および南米北部に分布する「キバナバス」
東洋産種の蓮の特徴・花色
  • 紅色、白色
キバナバスの特徴・花色
  • 黄色のみ

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