神田明神「小舟町八雲神社」

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神田明神「小舟町八雲神社」

読み方

こぶなちょうやくもじんじゃ

創建年

不明
江戸時代以前 ※社伝

再建年(移転年)

1603年(慶長8年)頃
1945年(昭和20年)以降

建築様式

切妻造・妻入

大きさ

御祭神

建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)

例祭日

6月上旬:小舟町天王祭(大祭)
9月中旬:小舟町八雲神社天王祭

 

以下では、神田明神の境内にある三天王と呼ばれる神社の1つ「小舟町八雲神社」についてご紹介します。

小舟町八雲神社の歴史(由緒)

神田明神の三天王(牛頭天王三社)の1つ

神田明神の境内には、「三天王」もしくは「牛頭天王三社」と呼ばれる3つの摂末社があります。御神殿とは祀られている祭神も由緒も異なり、神田明神を訪れる参詣者にとって見どころの1つとなっています。

三天王のうち、一の宮は「江戸神社」。702年(大宝2年)に創建された江戸最古の地主神です。鎌倉時代には江戸氏の氏神として崇敬され、江戸城ができてからは城内に祀られていました。(推定で現今の皇居内吹上御苑あたり)1603年(慶長8年)に城の拡張に伴って神田明神に遷座されたものです。

二の宮は「大伝馬町八雲神社」。江戸時代以前から祀られていた神社だと伝えられています。祭礼時、大伝馬町の御仮屋に神輿を渡御していたことから「大伝馬町」の名がつきました。

三の宮は「小舟町八雲神社」。祭礼時、小舟町の御仮屋に神輿を渡御していました。江戸城内に祀られていましたが、城の拡張に伴って神田明神に遷座されました。

江戸時代に賑わった天王祭

三天王の三の宮「小舟町八雲神社」は、かつては小舟町天王と呼ばれていました。

江戸時代、関ヶ原における「天下分け目の戦い」に勝利して日本統一を成し遂げた徳川家康は、その勝利した日、毎年の9月15日に「天下祭」を絶やさずに行っていくことを決めました。この天下祭は現在、神田明神による「神田祭」と日枝神社による「山王祭」が毎年交互に開催されるというかたちで引き継がれています。

一方で、天下祭とは別に江戸庶民には土着の祭りがありました。江戸城拡張後の1615年(元和元年)ごろからは天王祭と称し、当時は大変賑わっていたそうです。

三の宮の天王祭では、小舟町に有する御仮屋へ神輿が渡御されたことから「小舟町天王」と呼ばれました。ただし、この御仮屋は、貞享年間(1684年?)までは小伝馬町にあり、遷座してしばらくは神社の名称も小舟町天王ではなく「小伝馬町天王」でした。

神輿は6月10日に神田明神の境内を出発し、氏子百八十か町を巡って御仮屋に渡御し、13日か14日に境内に戻ってきます。

その間の行程は十三里(約52㎞)に及んだといわれ、「十三里天王」という別称もあったそうです。

近年では、小舟町八雲神社が単独で斎行する「八雲祭」が催されています。

4年に1度くらいの不定期で行われているため見られる機会は限られますが、小舟町の街中に壮大なお仮屋が建てられ、華麗かつ勇壮な大神輿の神幸祭として知られています。

なお、八雲祭では小舟町八雲神社の社殿に納められている神輿が渡御します。前回は、2018年でした。

現在の御仮屋は「仮宮」「御旅所」などと呼ばれ、日本橋堀留町の堀留児童公園に設けられます。

小舟町八雲神社の神輿

小舟町八雲神社の神輿が渡御するのは、ご紹介した通り、4年に一度の八雲祭の時だけですが、隔年で開催される神田明神の神田祭の期間中には社殿が開扉され(2019年は5月11日(土)と12日(日))、その姿を見ることができます。

この神輿は、彫刻家・後藤直光が1932年(昭和7年)に製作したもので、2018年に大修復が実施されました。

仮宮(御旅所)に安置された神輿(2018年)

総本社は八坂神社

八雲神社の総本社は京都・八坂神社にあります。そして、かつては「牛頭天王宮」と称されていました。

牛頭天王は、平安京の祇園社の祭神として崇められてきた神仏習合の神であり、全国で広く信仰されてきたものです。しかし、明治維新の神仏分離令による再編を経て、かつての天王社の多くは、スサノオノミコトを祀る「八雲神社」へと改名されています。

神田明神の境内社となった三天王も、もとは合わせて牛頭天王と呼ばれていました。1868年(慶応4年)6月、三天王はそれぞれ南伝馬町天王から江戸神社へ、大伝馬町天王から大伝馬町八雲神社へ、小舟町天王から小舟町八雲神社へと改称されました。

牛頭天王とスサノオノミコトを同一のものとする考え方もありますが、当時は名称が変わったことに違和感を覚える人も多かったでしょう。

なお、この三の宮は、江戸城拡張に伴って、神田明神とともに城内から現在の地に遷座されました。天王祭の資料には「牛頭天王は神田明神の地主なり」と記されているものもあり、もしこれが本当なら、江戸城内からの遷座とされていない二の宮、つまりもともと大伝馬町八雲神社のあった地に、あとから神田明神が移ってきたということではないでしょうか。

現在は神田明神境内に間借りしているかのようにまとまっている三天王の神社ですが、実は、間借りしてきたのは神田明神の方だったのかもしれません。


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小舟町八雲神社の御祭神は「建速須佐之男命」!

小舟町八雲神社を含め三天王のいずれも、ご祭神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)です。

建速須佐之男命は日本書紀においての表記は「素戔嗚尊」「素戔男尊」。古事記においては上述、「建速須佐之男命」になります。

建速須佐之男命を主祭神と位置付けて祀る社に京都・八坂神社がありますが、八坂神社はかつて祇園社と呼ばれ、この祇園社では建速須佐之男命を神仏習合させた「牛頭天王(ごずてんのう)」を主祭神として崇拝していた歴史があります。

この祇園社のもっとも大きい祭典が、かの祇園祭です。

祇園祭は祇園社(八坂神社)の主祭神である牛頭天王の御霊を神輿に乗せ、市内各所を巡幸します。

建速須佐之男命のご利益

いくつもの逸話をもつスサノオノミコトには、神話に基づく数多くのご神徳があるとされています。

主なものは、厄除け(水難・火難・病難)、縁結び、夫婦円満、五穀豊穣、開運・招福、子宝・安産、病気平癒、学業成就などですが、この中でも特にメインとも呼べるべきご利益誰がなんといっても厄災消除、厄除けです。

スサノオがクシナダヒメに贈った和歌は「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」というものです。

「八」が「たくさん」という意味をもつことから、わき立つ雲の様子に八重垣(幾重にも連なる垣根)を連想して詠まれたもので、「出雲に建てる新居には幾重にも垣根をつくって妻を大切にしよう」という、夫婦の愛情が込められた和歌として知られています。

なお、天王社から八雲神社に改称された際、それまで三の宮の祭神はクシナダヒメだったとされていますが、改称と同時に八雲神社の祭神、スサノオノミコトに統一されています。

同様に、二の宮の祭神も、スサノオノミコトの子どもである五男三女の8人の王子が祀られていたということですが、他の二宮と同じスサノオノミコトに統一されました。

この他、ヤマタノオロチに食べらそうになった、ほどよく・・あイヤ、スんごくピチピチとした女子を助けて嫁にした故事から「縁結び」のご利益があるとされています。

建速須佐之男命は天界で横暴を働いたため、姉の天照大御神より天界を追放されてしまいますが、言い換えれば荒ぶる神としてのパワーが備わるということです。

また、地上に降り立った後は出雲の山奥に棲息したヤマタノオロチと戦って見事!勝利を収めています。

このようなスサノオの持つパワーを持って厄災を祓おうという信仰が今も根付いていることになります。(祇園信仰)

スサノオノミコトの神話

スサノオノミコトといえば、日本神話の中で最も人々に親しまれている神といってよいでしょう。海を司る強大な力をもつ神でありながら、幼稚さや乱暴さをもって生まれ、やがて立派に成長していくという、とても人間的で愛すべきキャラクターを有しています。

スサノオは、日本創世の神、イザナギノミコトとイザナミノミコトの夫婦から生まれた神の1人です。(厳密にはイザナギ神が禊を行なった際に鼻から生まれた)

兄弟神として、太陽の女神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)や、黄泉の国を統べる月読命(ツクヨミノミコト)がいます。

スサノオは亡き母に会いたいと泣き続けていたために父・イザナギに地上から追放され、天上界に住む姉・アマテラスを訪ねますが、今度はアマテラスの怒りをかい、また追放されてしまいました。

地上に戻ったスサノオは、出雲の国で「娘が生贄にされてしまう」と嘆いている老夫婦に出会います。八首九尾をもつ大蛇、ヤマタノオロチを退治したスサノオは、その娘、豊穣の女神・クシナダヒメと結婚。スサノオは、最古の和歌とされる「八雲立つ」の歌をクシナダヒメに贈り、二人は仲睦まじく暮らしました。

神田明神「小舟町八雲神社」の特徴・見どころ

小舟町八雲神社前の天水桶

小舟町八雲神社の前には鉄製の天水桶(てんすいおけ)が一対、置かれています。

この雨水を溜める天水桶は、江戸深川上大島町(江東区大島)在住の御鋳物師(いもじ)である太田近江掾藤原正次(おおたおうみだいじょうふじわらのまさつぐ、釜屋六右衛門)が鋳造したものです。

桶には、太田近江掾藤原正次の名前が刻まれています。

奉納したのは、江戸の魚問屋中に属する商人・遠州屋新兵衛ほか10名。塩干肴や乾物などの流通を担った商人たちで、日本橋にあった魚市場の界隈に軒を並べていました。

こちらは奉納した商人の名前です。

天水桶は千代田区の有形民俗文化財に指定されています。地上からの高さは1.4メートルほどで、四角形の基壇と台座は石製です。

鳥居を入って左側の天水桶は1857(安政4)年に再建されたもので、右側の天水桶に記された銘文をもとに鋳造されました。

太田近江掾藤原正次作の天水桶は、大伝馬八雲神社前にもあります!

関連記事:神田明神「大伝馬町八雲神社」

神田明神「小舟町八雲神社」の場所(地図)

隨神門から入り、正面に見える御神殿の左手には摂末社が並んでいます。その手前から2つ目が「小舟町八雲神社」になります。

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