【普通に来ただけでは知ることのできない】湯島聖堂の隠れた見どころ一挙公開!‥‥知りたぃ?

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【普通に来ただけでは知ることのできない】湯島聖堂の隠れた見どころ一挙公開!‥‥知りたぃ?

湯島聖堂は東京ひいては関東でも有名な「神田明神」の目の前に位置する国指定の史跡であることから、立ち寄る観光客は多いと思います。

正直、湯島聖堂の敷地内は殺伐としていて面白みがあまり感じられません。

しかし湯島聖堂の魅力の真髄というものは、ただ単に来て帰るだけでは知り得ることはできんせん!

湯島聖堂で御朱印めぐりされる方は必見!このページでは湯島聖堂の隠れた見どころを一挙公開してみましょう!

まず‥‥湯島聖堂の敷地内案内図(マップ)の紹介から

湯島聖堂の全体図です。

この地図をある程度頭に入れてからまわると効率的に見落としなくまわることができます。

敷地内にはところどころにこのような目印があります。

この印を目印にまわれば迷うことも少なくなります。

湯島聖堂の見どころはココだぁ!

大成殿

大成殿は湯島聖堂の中心的な建物で、寺院で言うと本堂のような存在です。

土、日曜、祝日のみ大成殿は公開され、見学可能です。 (午前10時~閉門時間まで)

設計者
  • 造立年:昭和10年
  • 設計者:伊東 忠太
建築様式・特徴
  • 間口20メートル
  • 奥行14.2メートル
  • 高さ14.6メートル
  • 入母屋造り(いりもやづくり・屋根の上部においては切妻造(長辺側から見て前後2方向に勾配をもつ)、下部においては寄棟造(前後左右四方向へ勾配をもつ)となる構造です。
「大成」の名前の由来

大成とは、孔子廟の正殿の名称のことを言います。

宋(北宋)の仁宗のときに、『孟子』の以下の一説にちなんで命名されています。

「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成・・」

※書き下し文※「孔子は聖の時(とき)なる者なり 孔子は集大成(しゅうたいせい)と謂うべし・・」
※意味※「(過去にも優れた人物はいたが)、孔子は時の聖人であり、集大成のような人だ」

殿内、中央の神龕(厨子)に孔子像が安置されています。

左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の4賢人が祀られています。

「大成殿」の扁額

この文字は、伏見宮博恭王により書かれました(元々は徳川綱吉によって書かれていました)。

博恭王(ひろやすおう 1875-1946

明治~昭和時代前期にかけて活躍した皇族で海軍軍人でもあります。

斯文会の初代の総裁でもありました。

海軍の将校としてドイツの海軍大学校を卒業しました。

日露戦争時には戦艦三笠分隊長として出征するものの、黄海海戦でけがを負ってしまいます。

快復後はイギリスに駐在し、将官に進んだ後、海軍の大学校長や艦隊の司令官、司令長官を歴任し、1922年(大正11年)には大将となります。

東郷平八郎とともに日本海軍の二大長老の地位に立ち、海軍軍令部長も務めました。

「大成殿」内部の見どころ

⬆️開廟時の様子(お厨子の扉)

内部の最奥には壇が築かれその上に孔子像と他像が厨子に収納される恰好で奉安されています。

その手前には中華様式を表すかのように中華風のテーブルや調度品が置かれていまする。

なお、この大成殿を見学するためには200円の見学料を支払う必要がありまする。

公開当日は、大成殿入口右側に臨時の受付が設営されますので、そちらでお支払いください。

⬆️閉廟時の様子

賢儒図像

内部で特に必見すべきところは、左右両壁に飾られた「賢儒図像」です。

記録では、この図像は全部で16面存在したようですが、現在、大成殿内部にあるのは14面です。これは後々の調査で2面欠失していることが明らかにされており、下絵14面は高等師範学校(現在は筑波大学)に保管されています。

湯島聖堂は関東大震災の際、義直が寄進した本尊である孔子像と他、4躯の配像(思子、顔子、曽子、孟子)、それに扁額なども多くを失っています。

「大成殿」に祀られているのは誰?

殿内には中央の神龕(しんがん・厨子)に孔子像が安置されてあります。

左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人が祀られています。

孔子(こうし)
  • 前552年-前479年

孔子は、思想家・哲学者、学者・教育者であり、その教えが儒教として広まり、浸透したことから、「儒家の祖」とも呼ばれています。

孔は姓、名は丘で、仲尼(ちゅうじ)という字(あざな:男子が持った実名以外の名)を名乗りました。

「子」というのは尊称です。父は叔梁紇(しゅくりょうこつ)です。

ちなみに、この孔子の父は魯(ろ)の大臣家の戦士だった人で、孔子誕生時には70歳を超えていたと言われています。

家は非常に貧しかったものの、15歳で学問を志し、特定の師を持たずに勉学に勤しみました。

後に、魯に仕えて国政に携わり、大司寇(だいしこう:刑罰を司る役所の長官)まで進みました。

しかし、やがて権力者と衝突して魯を去り、50代半ばからの14年に渡り、諸国を巡り、魯に戻ってからは、弟子の教育と編著述に専念し、『春秋』を始めとする儒家の経典の数々を著しました。

有名な『論語』は、「仁の徳」による政治を主張した孔子が、弟子たちとのやり取りを納めた言行録とされるものです。

湯島聖堂の大成殿のように、孔子を祀るっているところを孔子廟、または、孔廟、聖廟、文廟などといいます。

また、孔子を祀る祭祀を「釈奠(せきてん)」といいます。

孟子(もうし)

  • 372289

思想家で、孟は姓、名は軻、字は子輿です。

孔子の孫、子思の門人に学びました。

に孔子のように諸国を巡り、王道・儒家の思想を説いて、儒家の伝承者といわれました。

後世、顔回とともに「亜聖(あせい・聖人に次ぐ大賢人)」と仰がれます。

人間の本性を善とする「性善説」を主張した人物です。

「孟子」はその言行と学説を記した書物です。

顔子

  • 513482

孔子の門人であり、「孔門の十哲」の第1人者でもあり、思想家で徳行の人と言われています。

顔は姓、名は回、字は子淵です。

孔子と同じように、貧しい中での学問を好んだ人物で、「論語」に24回登場しています。

曾子(そうし)

  • 505435年?

曾は姓、名は参、字は子輿です。

顔回と同様、孔子の門人であり、思想家で、大変な親孝行の人です。

「宗聖」と称され、顔子同様「論語」の中によく登場し、孔子の思想を伝えるのに最も功績のあった一人でもありました。

「孝経」の著者とされ、「論語」に16回登場しています。

子思(しし)
  • 前492年-前431年

孔子の孫で父は伯魚です。

孔は姓、名は仍、字は子思です。

「子思子」と尊称され、「述聖」とも称されます。

孔子の弟子・曾子に学び、衛に仕えました。「中庸」の著者とされています。


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仰高門 -ぎょうこうもん-

  • 造立年:昭和10年(1935年)4月竣工。
  • 設計者:伊東 忠太

仰高門の歴史(由来)

仰高門の仰高とは、「論語」子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」によります。

曲阜の孔子廟では、西方にあり、一般見学者用の入り口になる門このことです。

仰高門の建築様式・特徴

  • 鉄筋コンクリート造
  • 平家建の切妻造り

仰高門の扁額について

徳川圀順公爵の筆(元、持明院基輔(藤原基輔)の筆)です。

 

徳川圀順とは

(とくがわくにつぐ 1886年(明治19年)-1969年(昭和44年)

明治から昭和時代前期の華族で公爵で、水戸徳川家第13代当主でもあります。

斯文会第3代会長1940年(昭和15年)~1945年(昭和20年)で、日本赤十字社副社長などを務めました。

陸軍少将として終戦を迎えています。

杏壇門 -きょうだんもん-

  • 造立年:1935年(昭和10年)
  • 設計者:伊東 忠太

⬆️杏壇門(裏側)

杏壇門の歴史(由来)

杏壇とは、山東省曲阜(きょくふ)にある孔子の教授堂(学問を教えるところ)のことを言いました。

かつて孔子が講義を行った教壇の周辺に杏(あんず)の木があったことから、こう呼ばれていると言われています。

1000年代の宋では、大殿(大成殿)を後ろへ移し、教授堂の跡を瓦敷きにして、壇(高台)とし、周囲に杏の木を植えた上で門を構え、杏壇門と名付けられたということです。

杏壇門の建築様式・特徴

  • 間口20メートル
  • 奥行4.7メートル
  • 入母屋造り。

杏壇門の扁額について

徳川家達公の筆(元、持明院基輔(藤原基輔)の筆。)です。

入徳門 -にゅうとくもん-

⬆️入徳門(表側)

⬆️入徳門(裏側)

  • 造立年:1704年(宝永元年)
  • 設計者?

入徳門の歴史(由来)

入徳とは、朱熹(しゅき・中国,南宋時代の思想家)の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也(子程子(していし)曰く、大学は孔氏の遺書にして、初学徳に入るの門なり。」によります。

意味は、以下になります。

「程明道と程伊川のお二人の先生はおっしゃいました。

大学とは、孔子とその門下の遺書のようなものであり、初学者が徳の道に進もうとする時の(登竜)門である。」

上野忍ヶ岡の林家の先聖殿創建時にも入徳門があります。

曲阜の孔子廟にはありません。

聖堂内、唯一の木造建造物です。

建築様式・特徴
  • 木造
  • 平家建
  • 切妻造り
  • 延面積14.16㎡

入徳門の扁額について

藤原基輔の筆です。

藤原基輔とは

持明院基輔と称します。

持明院家は、藤原道長の子・右大臣頼宗の孫である基頼を祖とします。

家名は、基頼がの邸内の持仏堂を「持明院」と称したのに由来しているということです。

室町時代末、持明院家の基春の時に世尊寺流の書を修め、以降、代々、朝廷に使える家柄となりました。

また、神楽・鷹匠(たかじょう)を家業としていました。

楷樹

楷(かい)は、曲阜にある孔子の墓所に子貢が植えたと伝えられている木です。

その楷は、今日まで植え継がれているそうです。

植物学者・牧野富太郎博士の命名により、「孔子木」の通称でも親しまれています。

楷(かい)の名前の由来

楷は、枝や葉が整然としていることから、書道の「楷書」の語源になったとも言われています。

1945年(大正4年)、林学博士・白澤保美氏が曲阜から種を持ち帰ったことで、日本へ渡来したということで、日本国内では、比較的、歴史の浅い種類の木です。

その後も、何人かが種を持ち帰って苗を作り、木に育てました。

花が咲くまでに長い年月を要するため、わが国で種子を得ることはなかなか叶いませんでしたが、近年、やっと、実を見ることができるようになっています。

中国では全土に生育しており、黄連木・黄連茶(おうれんちゃ)、台湾では爛心木(らいしんぼく)の別名も持ちます。

秋の黄葉が美しいといわれています。

孔子銅像

  • 造立年:1975年(昭和50年)
  • 作者:不明
  • 高さ:4.57m
  • 重さ:1.5トン

※孔子の銅像としては世界最大。

孔子銅像の歴史(由来)

中華民国台北市 ライオンズ・クラブからの寄贈によるものです。

11月3日除幕式を挙行しました。

孔子銅像の建築様式・特徴

  • 丈高15呎(4.57メートル)
  • 重量約1.5トン(孔子の銅像は世界最大級です。)

神農廟 -しんのうびょう-

  • 造立年1640年(寛永17年)
  • 設計者山下宗琢(徳川家光の命により建立
  • 作者:明石清左衛門、藤原真信

神農廟の内部

扁額

  • 文字:躋寿殿(せいじゅでん)
  • サイズ:105.0㎝×185.0㎝

奉安される神農像

画像引用先:湯島聖堂

内部に奉安される神農像は如意輪を彷彿とさせる半跏倚坐(はんかいざ)の像容をもち、持物として赤い鞭と稲藁のようなものを持っていますが、これは薬草でしょうか。

デコ上部にはツノが生えており、もはや浮気した旦那に対してフライパンを持って猛烈に襲いかかる鬼嫁。

足のツメはまるで獣や悪魔のようなカギ爪になっている。

神農は古代中国の炎帝がモチーフとされるが、その存在自体はあくまでも伝説。一見すると異形の鬼にも見えなくはないのですが、これが神だというから面白い。

神農像は平安時代以前に宋で造立された?

本像は長らく平安時代に東大寺の学僧・奝然(ちょうねん)が宋より持ち帰ったものであり、当初は東大寺に奉安されていたとされていました。

しかしながら、1984年(昭和59年)に斯文会及び、矢数道明北里研究所 付属 東洋医学総合研究所名誉所長の主導により調査が執り行われ、この結果、1640年(寛永17年)に家光公の発願により、雑司が谷の薬苑主「山下宗琢」が請負人となり、明石清左衛門藤原真信に作らせた像であることが明らかにされています。(現在調査続行中)

この事実は本像の背扉を開いたところ、上記の事柄を書き記した墨書が見つかったとのこと。

11代の家斉公の御代には医学館(江戸神田佐久間町)へ移され、明治維新を迎えまする。

維新後は新政府の官物として農商務省博物局内に粗末に置かれたのを憂いだ東宮侍医 温知社代表・浅田宗伯がこれを引き取り、以後、温知社の解散、関東大震災による神農祀堂の倒壊などを経て浅田宗伯の高弟であった木村博昭の手に渡っています。

いよいよ木村家も代替わりし、その後継である木村長久は太平洋戦争の軍医として召集される運びとなり、管理に不安を覚えた木村は元来、奉安されていた場所に戻すのが良案とし、およそ150年ぶりに湯島聖堂へ戻され今日に至ります。

建築様式・特徴

扉の内側に鏝絵(こてえ・左官が壁を塗る鏝で絵を描いたもの)された土蔵です。

神農廟の歴史(由来)

1883年(明治16年)、儒学者・漢方医の浅田宗伯(そうはく)が医生の養成のため、温知黌(おんちこう)という学問所を開きました。

その労いの意を込めて浅田家は「神農像」をいただきます。

神農は、中国では「三皇」の一人とされる伝説上の帝王で、人々に初めて農具を与えて農耕を教え、薬を与え、交易の手ほどきをしたりしたとされ、日本では古くより「医薬の始祖」として、東洋医学者などから尊ばれてきました。

のちに木村博昭が浅田家を継ぐと、像は本郷の木村家に移り、さらに1943年(昭和18年)には、木村家より斯文会に寄贈されています。

同年6月末に、敷地内の東の角に神農廟を移し、このときから毎年1123日には神農祭を行っています。

神農廟は毎年11月23日のみ公開!内部も見学できる!

この神農廟は毎年11月23日(勤労感謝の日)に斎行される「神農祭」の時にのみ一般公開されており、この時には廟舎の扉も開放され、内部も見学できます。(入ることはできない)

普段はどうなっているのか?

この神農廟は斯文会館の駐車場の奥から行けるようになっていますが、普段は写真のように門が閉められていて門より先へは進めなくなっています。

門の奥には「神農廟」と書かれた案内板も見えます。

【明神門】 -みょうじんもん-

  • 造立年:1935年(昭和10年)4月
  • 設計者:伊東 忠太
明神門の歴史(由来)

1799年(寛政11年)、聖堂と学舎の規模を拡大する時に建てられた門です。

現在も旧中山道沿いに建っています。

「明神門」という名前は、神田神社(神田明神)へ通じる方角にあることにちなんでいます。

建築様式・特徴
  • 鉄筋コンクリート造
  • 平家建。切妻造り
  • 延面積7.05㎡

事務局および講堂

湯島聖堂の事務局は大成殿から少し降った先に位置するどデカイ銅葺きの建物です。

この建物の中には講義を行う部屋(教室)がいくつかあり、事務局では中国古典文学を中心とした講義の申し込みを受け付けています。

⬆️大講義室

⬆️小講義室

この他、御朱印やお守りの授与、書籍や絵葉書などのグッズ販売も行なっています。

これらの詳細については最下記にリンクを掲載してます。


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あまり目がいかない湯島聖堂の見どころはココだぁっ!

宥坐之器(ゆうざのき

「宥座(ゆうざ)」とは、「身近」や「身の回り」という意味がありまする。「器」は「入れ物」を指すと同時に「才(才能)」のことをも意味します。

ちょぃと下掲写真をご覧くだせぇな。

大成殿内に置かれている「宥坐之器」

杏壇門前に置かれている「宥坐之器」

いずれの写真にもバケツが吊り下げられている様子が見えると思います。

バケツの下の大きな入れ物(鉢)には水が入っています。

この水を柄杓ですくい取り吊り下がったバケツへ水をドンドンと入れていきます。

するとバケツの水はどうなるのか?

バケツの水はクサリ(鎖)を通して左右の2軸で支えられているのみながら、水は一向に落ちる気配はなく、安定性を保ちます。

ところが水を入れすぎると‥‥‥ジャブぁぁ〜ン!

あ〜ぁ、せっかく貯めた水が全部真下へドボンっ!再び振り出しへ戻る‥と。

‥‥‥とまぁ、このように「足りないくらいがちょうど良い」「満たされすぎると慢心になり、破滅を招く」ということを、このような仕掛けを用いて強く訴えています。

また、「満たされてはいないが少し足りない状態」を世渡りしていくためのベストの状態と心得て、この状態を創り出して維持していくことも才能であるといえます。

これが「孔子の教え」というものであり、孔子の教えは現代社会でも充分に活かせる知恵なのでゴンす。

 

屋根上のデカい魚「鬼犾頭(きぎんとう)」!

大成殿の屋根上、棟の両側に鬼板のように据えられています。名古屋城の鯱鉾(シャチホコ)やに似ていますが、鯱は鴟尾(しび)とも言い、おおむね火難除け、水の神として建造物を守護する目的で据えられるものです。

形状は鯱型で、竜頭魚尾、二脚双角、そして、下掲写真をご覧になれば分かるように、頭上から縦長の棒のようなものが飛び出していますが、これは寝グセではなく、潮(海水)を吹き上げている様子を表現しています。そんな寝グセあってたまるかぃ

各々、建物を外を睨むようにして設置されています。

1799年(寛政11年)に鋳造され、当時、湯島聖堂の規模が史上最大であった頃に奉ぜられています。

関東大震災の折、罹災し焼け落ちています。鋳銅製、重さ637.5kg。

⬆️大聖堂内に安置されている鬼犾頭

屋根上のデカい虎「鬼龍子(きりゅうし)」!

大成殿の流れ棟の四隅の角に据えられた像で名前を鬼龍子(きりゅうし)と言います。身体は獅子、龍のように体皮に鱗をまとい、するどいツメをもっていますが、あくまでも伝説上の霊獣です。

1799年(寛政11年)に鋳造され、当時、湯島聖堂の規模が史上最大であった頃に奉ぜられています。

関東大震災の折、罹災し焼け落ちています。鋳銅製、重さ93.5kg。

故事によれば鬼龍子は孔子のような聖人の徳をまとった人物の御前に現れるとされ、それを屋根上に据えることで孔子の人物像を評しています。

右脚に下記のような刻銘が残されています。

『寛政十一年 未年八月、御鋳棟梁 松井大和紀 清政』

 

⬆️大聖堂内に安置されている鬼龍子

大正天皇より下賜された「3体の孔子像」

明末期の遺臣「朱舜水」が亡命時に携えていた3体の孔子像のうち、安東省庵に贈られたものが大正天皇の御物となり、それが湯島聖堂へ下賜されたものです。

この3体の孔子像は一般公開されていないものですが、上述した孔子祭および、正月元旦〜4日までの間のみ、大成殿へ移され、特別一般公開されまする。

ただ、現在、これら3躯の像は所有者が異なり、湯島聖堂所蔵のものは中央の像です。左端は伝習館高等学校、右端が安東家の所蔵の孔子像でゴンす。

斯文会の屋根上で見られる動物の名前や意味とは?

この湯島聖堂は1935年(昭和10年)に伊東忠太博士の手により、以前の木造建築を忠実に模し、復原する形で再建されています。

これらの動物たちは伊東忠太その人が考案したものであり、儒学の学堂である湯島聖堂のイメージを損なわないよう、むしろさらにイメージアップすることを想定にいれて造立しています。

基本、湯島聖堂の屋根上で見られる動物たちは大成殿の霊獣(動物)を真似る形で古建築の伝統に則って創作されたものです。

したがって動物たちそれぞれに名前などなく、この像たちが屋根上に据えられた意味や像本来が持つ本意も今となっては明らかではないようです。

防火桶

⬆️杏壇門前の防火桶

あまり目がいかない物ですが、湯島聖堂に幾つか防火桶が置かれています。

これから湯島聖堂に行かれる方はぜひ!この防火桶をよくご覧になってほしいのですが、防火桶の四面をよく見ると徳川紋(三つ葉葵紋)があしらわれているのが分かるハズです。

湯島聖堂へお聞きしたところ、この桶は関東大震災後の写真に写っていたことから、まずは、関東大震災以前には当地にあったことが確実です。

湯島聖堂の独自調査によれば、確定ではないが寛政期の大修理(大改築)の際に置かれたものだと推定されているとのこと。

⬆️手水舎の近くにある桶は塗装が施されていることから真新しく見えるがこれは最近塗り直したとのこと。中身は往時のもの。


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築地塀

丸軒瓦と鳥衾と懸魚

⬆️突き出た高棟の冠瓦とその上、鳥衾。下から見上げることを想定して段々に作られた意匠が光る。珍しい様式。その下には懸魚が見える。

⬆️丸瓦と軒丸瓦

門環

湯島聖堂で執り行われる伝統行事!

孔子祭

湯島聖堂では孔子やその遺徳を顕彰し、毎年4月第4日曜日に「孔子祭」が斎行されまする。この祭は別名で「釈奠(せきてん)」とも呼ばれ、古くから中国で孔子をはじめとした先聖先師に牛や羊などの生贄を供して祭祀したことに因み、現在ではお神酒、生鯉、野菜などが供されます。

釈奠は1691年(元禄4年)より幕府直轄の恒例行事と定められ、祭主は林家当主や大学頭が務め、綱吉公はじめ臣下一同も正装で参列する大行事でした。

  • 開催日程:毎年4月第4日曜日
  • 開始時間:午前10時より
  • 開催場所:湯島聖堂「大成殿」

鍼灸祭

「鍼灸祭」は、“はり灸まつり”の意思を継承し、復興させた祭典です。

“はり灸まつり”は昭和40年、四世鍼師・神戸源蔵氏の発案により浅草の伝法院にて開催され、昭和59年に廃されるまでの約20年間にわたって行われていましたが、15年経た、平成12年より復興されています。

なお、鍼灸祭は一般参加もできますが、別途、所定の料金が必要になりまする。

  • 開催日程:毎年5月第3日曜日
  • 開始時間:午後13時より
  • 開催場所:湯島聖堂「講堂」
  • 一般参加費:500円

先儒祭

先儒の遺徳を顕彰する趣旨で開催される祭典です。旧東京市と斯文会が1932年(昭和7年)10月23日に共催したことがはじまりです。

  • 開催日程:毎年5月第3日曜日
  • 開始時間:午後13時より
  • 開催場所:湯島聖堂敷地内および「斯文会館・講堂」

神農祭

前述の通り、毎年11月23日(勤労感謝の日)に斎行される祭典です。

神農像に端を発する神農行事としての側面もありまする。神農信仰は江戸時代に隆昌し、医薬・農業の神とされる一方で農作物を通じて交易する術も伝えたとされることから、交易の神・商売の神としても尊崇が寄せられていまする。

案内板

  • 開催日程:毎年11月23日
  • 開始時間:午後13時頃より14時頃まで。その後記念講演会が開催。(※年度によって若干の変更あり)
  • 開催場所:神農廟および「斯文会館・講堂」

湯島聖堂の文化講座

湯島聖堂では、儒教や漢文に関するものを中心に、色々な生涯学習講座が開かれています。

中には、昌平坂学問所の伝統を継承する、本格的な内容の講座もあります。

講座の内容や開催期間、受講料などはホームページで確認できるほか、事務局の前に置かれている講座の案内を持ち帰り、ゆっくりと検討することもできます。

主な講座内容

一般講座、芸術・健康講座、親子講座、通信講座などがあります。

一般講座の主な講座

  • 論語素読、
  • やさしい論語塾 ~女性のための~、
  • 論語を読む、
  • 新・論語の味読、
  • 大人論語塾 ~論語初心者のための~、
  • 新・漢詩作法初級講座、
  • 漢詩のイロハ、
  • 漢詩作法(初級、入門、中級、上級)
  • 漢詩創作(初~上級)、
  • 白楽天の詩を読む、
  • 漢詩・漢文の名作を読む、
  • 日本の漢詩、
  • 蘇東坡を読む
  • 金・元詩講読
  • 中国語で読む漢詩
  • 陶淵明の詩文を読む
  • 杜甫の詩を読む
  • 李白の詩を読む
  • 漢詩のあゆみ
  • 唐詩鑑賞
  • 易経入
  • 陰陽五行思想の原理と応用
  • 中国の名言・成語
  • 江戸明治漢学講義
  • 『荘子』を読む
  • 漢文検定講座
芸術・健康講座の主な講座

  • 漢詩文等吟詠(初・中・上級)
  • 中国古典音楽
  • 書道に親しむ
  • 健康太極拳
親子講座
  • 湯島聖堂こども論語塾  杏コース
  • 夏期・春期親子講座  漢字入門  親子で楽しむ論語
  • 中・高生のための論語  「論語素読」と「論語を書く
通信講座

  • 漢詩実作通信講座
  • 中国画通信講座
  • 書道(隷書・楷書)通信講座
湯島聖堂の文化講座の受講方法について

湯島聖堂の授与品(御朱印・御朱印帳・お守りなど)

湯島聖堂では、御朱印や学業成就のお守りもいただけます。

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