上野東照宮「本殿・幣殿・拝殿」【重要文化財】 

スポンサードリンク

上野東照宮「本殿・幣殿・拝殿」【重要文化財】

読み方

  • ほんでん・へいでん・はいでん

※通称:金色殿

造営年

  • 1627年(寛永4年)
再建年(建替え)

  • 1651年(慶安4年)
再建した人

  • 徳川家光
建築様式(造り)

  • 本殿 一重、入母屋造
  • 幣殿 一重、両下造
  • 拝殿 一重、入母屋造、千鳥破風付平入 ※唐破風軒流れ向拝

※3つの建物を合わせて「権現造」

大きさ

  • 本殿 桁行三間、梁間三間
  • 幣殿 桁行三間、梁間三間
  • 拝殿 桁行七間、梁間三間 ※正面向拝三間
屋根の造り

  • 銅瓦葺
主祭神

  • 徳川家康:江戸幕府初代将軍。東照大権現。
  • 徳川吉宗:江戸幕府8代将軍
  • 徳川慶喜:江戸幕府15代将軍

※当初の祭神は以下の三柱
・東照神君:現在の御祭神、徳川家康公(東照大権現)
・天海僧正:家康公の側近として政策面にも関与した天台宗の僧侶
・藤堂高虎:江戸城の改築にも貢献した徳川家の重臣

例祭日

  • 4月17日
重要文化財指定年月日

  • 1911年(明治44年)4月17日

上野東照宮「本殿・幣殿・拝殿」の特別拝観の時間・料金など

上野東照宮の拝観時間(開門・閉門時間)

「透塀内へ入場できる時間」は、「上野東照宮の境内へ入場できる時間」よりも30分短くなっています。

境内を拝観できる時間

  • 夏季(3月~9月):9時~17時30分
  • 冬季(10月~2月):9時~16時30分
唐門(透塀)の内側を拝観できる時間

  • 夏季(3月~9月):9時~17時
  • 冬季(10月~2月):9時~16時

※季節・天候により変更あり

定休日

  • なし(年中無休)

上野東照宮の拝観料

上野東照宮には、無料で入場できますが、社殿(本殿など)がある一部エリアが有料拝観区域となっています。

境内正面奥にある唐門の向かって右側(お守り授与所の建物)に、拝観受付の窓口がありますので、拝観希望の場合は、そちらで拝観料を納めて入場します。

有料エリアの拝観ルート(赤矢印)
透塀内(社殿)特別拝観の拝観料

  • 大人(中学生以上):500円
  • 小学生:200円
  • 団体(20名以上):400円
  • 「ぼたん苑」との共通券:1100円(ぼたん苑開苑時期のみ)
透塀内への拝観受付

※ぼたん苑の入苑料(入場料)は別途必要です。

なお、社殿の内部はいかなる場合でも、公開されていません。

上野東照宮「本殿・幣殿・拝殿」の歴史・由来

上野東照宮は、江戸幕府の初代将軍・徳川家康公を祀るため、上野にあった藤堂高虎の屋敷地に開いた「東叡山寛永寺」の中に創始した神社です。

家康公の遺言により、後に天海僧正と藤堂高虎が合祀され、後の世になってこれら側近2名の代わりに、特に功績の大きかった江戸幕府の将軍2名を祀ることとなり、現在に至っています。

上野東照宮の御朱印には、当初の御祭神の神名が入った朱印が押されます。

 関連記事:【限定あり!】上野東照宮の御朱印の種類・初穂料(値段)・授与場所・授与時間など

神社の創始・社殿の造営は3代将軍・徳川家光の時代の1627年(寛永4年)でしたが、当初は誰でもお参りできる神社ではなかったようです。

当時は、浅草の浅草寺の隣に、浅草東照宮と呼ばれる神社があり、日光の東照宮までお参りに行けない江戸の人々は、この浅草東照宮に参拝していたのですが、ある時、火災で焼失してしまいます。

初代将軍をお祀りするお社で火事があってはいけないということで、家光はその地に東照宮を再建することを許さず、代わりに、上野東照宮を庶民が参拝できる場所として整えるため、1651年(慶安4年)に建て替えを行いました。
(なお、浅草東照宮は再建されませんでしたが、家康公(東照大権現)は1649年(慶安2年)、浅草神社に合祀されています。)

「上野の東照宮を日光東照宮のような豪華な社殿にする」という意図の下で行われた建替えだったので、黒漆と金箔、そして極彩色の彫刻のコントラストが鮮やかで、大変きらびやかな社殿となりました。

特に金色のインパクトは強く、「金色殿」とも呼ばれています。

上野の地は、戊辰戦争中の上野戦争や関東大震災で、寛永寺の伽藍を始め多くの文化財を失いましたが、上野東照宮は幸運にもいずれの被害も受けませんでした。

また、戦中には社殿の真後ろに爆弾が投下されたものの、不発弾だったために命拾いしたということです。

これも、御祭神の御神徳のおかげでしょうか。

明治時代の神仏分離令で、上野東照宮も境内の縮小・整理が行われてはいますが、数々の災難にあってきた東京・上野にあって、江戸時代初期の建物が未だにきれいな形で残っているのは、奇跡としか言いようがありません。

2009年(平成21年)から2013年(平成25年)にかけては大掛かりな保存修復工事が行われました。

この修理では、社殿の外側と内側で、合わせて11万枚もの金箔が使われたのだそうです!

屋根も、酸化してすっかり青くなっていたものが、黒光りする新しい銅瓦に取り替えられました。

そして、2014年(平成26年)から、久しぶりの一般公開が始まりました。

かつては拝殿の扉が開いていて、内部も一部拝観することができましたが、現在は、文化財保護の観点から、内部は一切非公開となっています。

上野東照宮「本殿・幣殿・拝殿」の建築様式(造り)と見どころ

権現造の社殿

神社の中で、御神体を安置する最も重要で神聖な建物が「本殿」です。

多くの神社では、一般の参拝者は祈祷を申し込むなどしない限り本殿に入ることはできず、中には祈祷も別の場所で行うため本殿内部は完全非公開だったり、本殿の周りを玉垣で囲い、その外側からしか参拝できないという神社もあります。

「拝殿」は、本殿に入れない代わりに、私たちが拝礼をするための建物で、本殿の正面に、一般的には本殿より大きく造られます。

「幣殿」は、幣帛(へいはく:供物)を捧げ、神事などの儀式を行う場所で、本殿よりも一段低く造られます。

さて、ここで登場する上野東照宮の社殿の建築様式「権現造」とは、この本殿と拝殿が、幣殿(へいでん:石の間)と呼ばれる小さな建物を間に挟む形で繋がっている社殿の様式です。

本殿も拝殿も横長の長方形にし、幣殿は小さめに造るので、上から見ると、「エ」や「串」の字に見えるのが特徴です。

拝殿と本殿を繋ぐ石造の廊下が発達したものが幣殿であることから、幣殿のことを「石の間」ともいうので、石の間造(石間造)とも呼ばれますが、日光東照宮を皮切りに、全国の東照宮で採用された様式であるため、御祭神の神号「東照大権現」にちなんで、権現造と呼ばれているわけです。

江戸幕府は、初代将軍を祀る東照宮の造立を奨励したため、東照宮という神社は全国に広がり、それに伴って、権現造も、メジャーな社殿の建築様式の1つとなりました。

権現造の社殿では、色も装飾も豪華で華美、というのが基本のスタイルです。

両下造とは

「両下造(りょうさげづくり)」は、権現造の社殿の幣殿のように、別の2つの建物に挟まれた建物の建築様式です。

幣殿の屋根は本を半開きにして伏せたような切妻造で、屋根の斜面が左右にある「妻入り」と呼ばれる形の建物ですが、前後が拝殿と本殿に接続しているため、切妻の妻側がなくなってしまっています。

ですので、切妻造ではなく、特別に両下造と呼ばれています。

なお、上野東照宮の本殿と拝殿の屋根は、入母屋造となっています。

入母屋造(入母屋屋根)とは、屋根の上部の斜面は2方向、下方の斜面が4方向についており、二重になっているように見える屋根です。

寺院や城郭の主要な建物によく用いられる一方、神社の社殿建築としては、比較的新しい屋根の形です。


スポンサードリンク -Sponsored Link-






本殿の造りと特徴

床の高さと床下に注目!

本殿と、その他の社殿との見た目(造り)の差の付け方には色々な方法がありますが、こちら、上野東照宮の本殿は、拝殿・幣殿と軒を一続きにする代わりに、床の高さを変えてあります。

上の写真をよく見ると、地面(基礎)から2段の石段を上がって入る幣殿の、向かって右側(奥)の拝殿よりも、左側(手前)の本殿の高欄の方が、高い位置に作られていることがわかります。

つまり、本殿の床は、拝殿・幣殿よりも高くなっているのでしょう。

視線を床下に動かしてみると、本殿の方には、拝殿にはないコンクリート造と思われる基礎が、1段入っています。

床下の目に見える部分には、通常は軒下(柱の最上部)に取り付けられるような、枓栱(ときょう)と呼ばれる組物があります。

このように、縁の下にあって、縁を支える役割を果たしている枓栱を、特に腰組と呼びます。

上段の方が手前にせり出しており、これが3段あるので、「三手先」の枓栱ということになります。

こちらだけは、黒でも金でもなく、赤漆仕上げとなっており、目立ちませんが、建物の上から下まで眺めた時のコントラストの鮮やかさ、美しさには、圧倒されてしまいます。

拝殿の縁の下にも腰組がある。

屋根の上には千木

また、離れた位置や高い位置から見られないので確認しづらいのですが、本殿の屋根の上には、通常、神社の建築物の中でも本殿の屋根のみに付けられる「千木(ちぎ)」も見えます。

よく見ると、一般的には男神を祀る社殿であることを示す、「外削ぎ(地面に対し垂直にとがった形)」の千木であることがわかります。

拝殿は黒漆仕上げが基本で、要所要所に金が入っている印象ですが、本殿は、扉・壁がすべて金箔仕上げです。

軒下には、拝殿と同じく極彩色の美しい彫刻があしらわれています。

黒い破風に金の金物飾りが付いているのも、インパクト抜群です。

社殿の随所に、徳川家の家紋であり、上野東照宮の社紋でもある「丸に三つ葉葵」の紋があしらわれているのも、ポイントとなっています。

拝殿の造りと特徴

屋根の造り

拝殿の屋根は、本殿と同じ入母屋造ですが、正面の屋根の斜面に千鳥破風と呼ばれる三角形の破風が付いています。

破風は、屋根の斜面と斜面の間(妻側)にできる三角形の部分で、入母屋屋根の場合は、2方向へ傾斜が付いている屋根上部の左右にありますが、千鳥破風というのは、それとは別に、装飾または採光・換気のために設けられる破風です。

この千鳥破風のすぐ下には、唐破風の向拝(こうはい・ごはい)が接続しています。

現在は囲いがあるので近づけませんが、本来であれば、この向拝の下で拝礼をするのです。

桁行七間(柱と柱の間の面が7つ)の拝殿の、中央の三間分ということで、建築様式の説明としては、「正面向拝三間」と表現されています。

軒下の彫刻

拝殿は、本殿に比べて黒漆仕上げの部分が多くなっています。

正面の扉は金箔をまとっていますが、その左右の面に黒漆の格子が入り、建物側面の壁は全面黒漆仕上げとなっています。

本殿よりも近づいて見ることができるため、ぜひ、見上げてよく見てみてください。

向拝の唐破風の蟇股には鳥の彫刻が見えますし、組物は獅子になっていることがわかります。

獅子の両脇は、鷲でしょうか、鷹でしょうか・・。

拝殿の角の軒下の木鼻部分には、こちらを見下ろしているような獅子の彫刻が付いています。

拝殿の正面から側面にかけての長押の上には、彫刻が2段(2面)入っています。↓↓

長押のすぐ上には、桔梗と躍動的な鳳凰らしき鳥が見えます。

その上の枠の彫刻は、蟇股の中に小鳥、周囲は「百花の王」こと、牡丹の花という構図です。

いずれの彫刻も透かし彫りになっており、非常に凝った、装飾的なデザインとなっています。

蟇股の小鳥とぼたんの彫刻の上の部分も、色が塗られているだけでなく、線や模様でぎっしりと装飾されています。↑↑

黒漆に金の宝珠のシルエットが映える支輪の間には、桔梗のような花の絵があしらわれています。

また、その上の丸桁(がぎょう)は花菱の総柄となっており、端の方は和紙を織り上げたようなラインが入って、法輪(後述)のような円形の模様も見えます。

柱の上部や彫刻の周りのこのような文様は、「置上彩色(おきあげざいしき)」と呼ばれる方法で描かれています。

置上彩色は、胡粉(ごふん、貝殻を原料とする白い顔料)を塗り重ねた上に金箔を押し、立体感を出した上で彩色を施す方法で、文様が立体的に、輝いて見えるという特徴があります。

まさに、金色殿にふさわしい彩色方法です!

正面扉の意匠

拝殿の扉には、いくつかの枠があり、1枚の扉に4つの円形の模様が入っています。

車輪のような、船のハンドル(ステアリング)のような形をしていますが、これは車輪でもハンドルでもなく、「法輪」です。

法輪は、仏教のシンボルです。

「法」は釈迦の教え、「転」は転がることを表します。

語源はサンスクリット語のダルマチャクラ(ダルマ:教え・チャクラ:車輪または円盤形の武器)と言われています。

ですので、法輪には、「釈迦の教えが、車輪が転がるように勢いよく方々へ広がる」という意味があります。

輪の中に放射状に伸びる8本のラインは、仏教の教えを「八方向」に広めるという意味を持ちます。

ご紹介した通り、上野東照宮は、創建当初は寛永寺という寺の一部でした。

ですので、このような仏教的なモチーフも出てくるのです。

扉の上部のデザインは、幣殿とは違い、菱形の組み合わせとなっています。

幣殿の扉の透かしは亀甲+三菱になっています。

銅瓦葺屋根とは?

上野東照宮の社殿(本殿・幣殿・拝殿)は、銅瓦葺となっています。

瓦というと、一般的には粘土で作られていますが、銅や鉛といった金属でできた瓦もあります。

銅瓦は、金属加工技術の発達などによって、江戸時代から用いられるようになりました。

軽くて丈夫で耐火性に優れた銅は、大切な建物の屋根にはぴったりです。

とはいえ、銅は高価ですし、加工も手間で人出が必要なので、一般庶民の住宅には広がらず、主として神社仏閣などの屋根に用いられました。

銅瓦は、銅を買える「財力」・人を集められる「権力」の象徴だったのです。

銅瓦葺の有名な建物と言えば、東照宮の御祭神・徳川家康公が生前に築城した名古屋城(天守)や、東照宮の総本宮である日光東照宮(本殿など)、かつて壮大な徳川家霊廟を持っていた東京の芝増上寺(台徳院霊廟)などが挙げられます。

他にも、大阪城の一部、江戸城の一部、久能山東照宮・仙波東照宮・金沢東照宮・滝山東照宮の社殿、日光輪王寺二荒山神社、そして京都の内裏も、銅板葺となっています。

なお、伝統的・一般的には、神社建築に瓦は用いません。

仏教と同じく、大陸から渡来した瓦の文化を取り入れないことで、仏教寺院と神社とを区別するためとも言われ、神社の屋根に銅を用いるとすれば、普通は銅板葺となっています。

それを銅瓦にしたという点からも、家康公を「大権現」(仏の仮の姿である神)と呼び、寺と神社を一緒に建立した、江戸幕府や、当時の人々の信仰のあり方がうかがえます。

【補足】上野東照宮・拝殿 狩野探幽作「獅子」

今は内部が非公開になっている上野東照宮の社殿ですが、実は、拝殿内部には、狩野派の代表的な絵師・加納探幽が手掛けた獅子の壁画があります。

社殿は外装・内装共にしっかりと修復されていますが、こちらの壁画は、江戸時代に作成された当時のまま残されているのだそうです。

御祭神を守護する気概のみなぎる力強い獅子が大きな壁板いっぱいに描かれ、見ているものを圧倒します。

スポンサードリンク -Sponsored Link-

    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ