五條天神社は、医薬祖神を主神とするため「健康祈願」で参拝される方が多い神社です。また、相殿として菅原道真公も祀られているので、医療系の学校を受験する方も多く参拝しています。
上野駅から徒歩約5分の立地でありながら、静かで落ち着いた雰囲気があります。
こちらのページでは、五條神社の御朱印と御朱印帳の種類や境内見どころについてご紹介していきたいと思います。
読み方
- ごじょうてんじんじゃ
創建年
創建者
御祭神
- 菅公(すがわらのみちざね)
項・一覧
境内見どころ
表参道鳥居(神明鳥居)
神明鳥居は柱のみ新しくされているので、笠木や貫と比較すると白く年代が違うのが分かりますが、現在の鳥居は東日本大震災で倒壊し、その後建て直されたものです。
神明鳥居の笠木の断面には社紋が彫られていますが、この社紋はお隣の花園稲荷神社さんのものです。
その証拠に稲の神様である御祭神「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」をイメージした稲のマークが彫られています。
鳥居は五條天神社さんの鳥居で、鳥居の社紋は花園稲荷さんという非常に珍しい鳥居です。この鳥居の形は「神明鳥居」という伊勢神宮や靖国神社と類似した鳥居の形となります。
通例では、以下のような条件を持つ神社に神明鳥居を用いる例が多く見受けられます。
- 神明造りの本殿を持つ神社
- 天皇や国事に関わる御霊が祀られた神社
しかし、当神社の本殿は流造りであり、御祭神も天皇とは直接的な関係性がないので珍しい例です。
これについて実際に五條天神社の宮司さんにお聞きしたところ、鳥居の形に意味合い特になく、昔からこの形の鳥居が踏襲されてきた歴史があるとのことです。
すなわち、最初に鳥居を奉納した方がこの形の鳥居を奉納したからだという理由になるようです。
梅
五條天神社の境内は、梅を鑑賞できる場所としても知られています。
紅梅、白梅の両方を鑑賞できます。
不忍池の桜が咲く前に、梅を鑑賞するのも日本古来のお花見らしくていいですね。
五條天神社の梅の見頃時期は例年2月中旬。2月下旬頃に行くと梅が少しピークを過ぎた感がありまするが、代わりに少々早い春の訪れを開花という形で告げる寒桜(かんざくら)や河津桜など、付近にある上野東照宮のボタンも見頃を迎えていまする。
したがって五條天神社へ訪れるオススメ時期は2月下旬頃!不忍池池畔の河津桜、上野東照宮の牡丹園の冬牡丹が同時にご覧いただけることでしょう!オホ
境内入口鳥居の前に植栽されている「梅」
境内入口鳥居の前に植栽されている「桜」
拝殿前に植栽されている「桜」
拝殿を覆い隠すようにして桜が咲き乱れている。
御本殿
社殿は昭和3年(西暦1928年)造営で、流造です。第二次世界大戦の戦禍を免れました。
拝殿
拝殿のお賽銭箱には神紋「粟稲紋」が入っています。
木製の柵があり、拝殿のすぐ近くまでには近寄れないようになっております。
狛犬像(獅子像)
拝殿のすぐ近くに建つ五條神社のブロンズ製の狛犬は彫りが細かく、ほっそりとしたスマートな姿です。
それに比べ、神明鳥居の近くの狛犬は丸みを帯び、ずんぐりとした印象。対照的なのが興味深いです。
手水舎
右手の手水舎の屋根は方形、柱は八角堂で、独特の形をしています。屋根の上には今にも羽ばたきそうな銅造りの鳳凰が乗っています。
天井の中心には葡萄模様の筒状をした彫刻があります。手水鉢は蓮の形で少し珍しいです。
手水舎の屋根上の鳳凰
七福社
五條神社の境内社で、七福神をお祀りしています。
社伝によると、この七福社は江戸時代上野の繁栄を願い山内各門に祀られていた祠の一つと言われています。
神像の背に千穐萬来(せんしゅうばんらい)の文字が刻まれているといいます。
神楽殿(舞殿)
境内にはたくさんの草木が植栽されていますが、その中に4面すべてが板扉で閉じられたお堂のような建物がヒッソリと佇んでいます。
この建物は実は神楽殿であり、毎年5月25日の例祭になるとすべての扉が開放され、巫女によるお神楽が舞われます。
この建物が神楽殿であることを示すかのように建物中央には「舞殿」と金文字が浮き彫りにされた扁額が飾られています。
神輿舎
社務所の前には神輿が安置された神輿舎があります。
五條天神社では毎年5月25日に、町神輿が上野公園や上野の町を巡幸します。
この日、本社では上記、神楽殿にて巫女舞が舞われ、普段は静けさ漂う境内も年に1度の華やかさが宿ります。
なお、3年に1度の5月25日は千貫神輿と呼ばれる特大サイズの町神輿のほか、渡御行列も編成され、馬や太鼓も行列に加わり、巫女舞も振舞われます。
その様相はさながら東京を代表する一大祭典を彷彿とさせます。
うけらの神事
2月3日の節分の日には、病鬼を払う追儺式・「朮勝(うけら)の神事(オケラの神事とも)」が斎行されまする。
古態を残すとされるこの神事。
「うけら(朮勝)」とは、若芽が食用になるキク科の草のこと。儀式の間、この「うけら」を焚き続け、邪気を祓いまする。
祝辞を奏上した後、蟇目式(悪霊を祓う弓の行事)で宮司が弓の矢を引き、神矢を叩きまする。
この後、赤鬼と青鬼が拝殿前に設営された舞台に現れ、拝殿に侵入、方面氏(鬼祓い役、4つ目の金目の鬼)が阻止しまするが、問答役が進みでて、赤鬼、青鬼との問答が行われまする。
やがて両鬼は罪を認めて謝罪し、逃げ果せるのじゃが、方面氏が再び登場して、桃の弓と矢を3回叩き、「鬼は外」を連呼しまする。
こうして年男年女を引き連れ、両鬼を完全に追い出すのです。
この後に執り行われる社殿内の儀式の間も、うけらは焚き続けれトコトンまで邪気を祓いかけまする。
- 斎行時間:15:00~16:00頃
五條天神社(東京上野)のオリジナル御朱印・御朱印帳とお守り
五條天神社(東京上野)では御朱印が授与されています。
また、オリジナル御朱印帳も用意されています。
ユニークなお守りもありますので、参拝の際には、ぜひ社務所(授与所)へもお立ち寄りください。
五條天神社(東京上野)の御朱印・御朱印帳・お守りについて詳しくは、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。
関連記事:【期間限定御朱印はある?】五條天神社(東京上野)の御朱印の「種類一覧・値段(初穂料)・場所・営業時間・混雑具合」を‥‥知りたぃ?
花園稲荷神社と五条天神社の境目(境界線)について
五條天神社と花園稲荷神社は1つの境内に同居しているようにも見えますが、本殿や社務所はそれぞれの境内にあります。
神職さんもそれぞれの社務所に居られますので、それぞれの神社特有のオリジナルの御朱印とお守りを授与することができます。
五條天神社と花園稲荷神社との境目は見つけるのが難しいのですが、一言でまとめると上野公園側から半分が花園稲荷神社で、不忍池側から半分が五條天神社です。
この境目の見つけ方は境内敷地の高低差が目安となります。
花園稲荷神社の敷地の方が高台にありますので、実際に境内に入ってご覧になってみてください。
ただし、境内は完全に分離しておらず。
花園稲荷神社とは階段で繋がっています。このように階段が設けられているということは花園稲荷神社と五條神社の両方を参拝される方が多く、その配慮のためでしょう。
実際に両方の神社の御朱印を頂いている方が多く見受けられました。
なお、もともと当地に建っていたのは花園稲荷神社の方です。
そこへ昭和初頭に五條天神社が移転してきて、現在のような様相が成っています。
五條天神社の歴史(年表)
垂仁天皇17年〜景行天皇60年/西暦110年(およそ1900年前)
1486年(文明18年/室町時代)
1641年(寛永18年/江戸時代前期)
江戸時代(1800年代)の五條天神社の場所(地図)
上掲写真をちょぃとご覧になっていただきたい。
「イナリ(稲荷)」と書いている場所(緑色の囲い)の場所が現在の五條天神社のある場所、ちなみに”イナリ”とは現在の穴稲荷、つまり花園稲荷神社を意味する。
一方、1800年頃の五條天神社はそれよりさらに下の緑色の囲いの場所「五条天神」と書いてある場所。この場所は当時、「下谷広小路」と呼ばれる大通りが通っていた。これにちなんで「下谷天満宮」と呼ばれていたのであろう。
ちなみにこれを現代地図にあてはめて見た場合、おもしろいことが分かる。⬇︎
なんとぉぅ!現在のヨドバシカメラは往時の五條天神社の社地だったことになる!
1928年(昭和3年)9月
つまり、上掲写真で例えるなら、下谷広小路にあった「五条天神」と記載された社地から、「イナリ」と書かれた寛永寺の境内地へ移転したことになりまする。
2010年(平成22年)
五條天神社の遷座の変遷
↓
上野・花園稲荷神社の敷地(現在の場所)
五條天神社は「東都七天神」「江戸二十五天神」
東都七天神
- 平河天満宮(平河天神/千代田区平河町)
- 五条天神社(台東区上野公園/花園稲荷神社と同境内)
江戸三大天神
五條天神社の場所と交通アクセス
五條天神社の最寄駅
- JR上野駅(公園口)
最寄駅からの所要時間
- JR上野駅(公園口)から徒歩約5分
五條天神社の駐車場
五條天神社にお車でお出かけの方は、上野公園やその周辺の駐車場をご利用ください。
五條天神社(東京上野)のINFO
住所:東京都台東区上野公園4−17
境内営業時間(開門閉門時間):6時頃〜17時まで
公式URL:http://www.gojotenjinja.jp