上野大仏は現今に至るまでに幾度となく罹災し、紆余曲折を経て現在は顔面強打のみのお姿になっています。….顔面強打?
しかしながら、幾多の難を逃れた上野大仏は「これ以上、落ちない!」大仏様として、合格祈願のご利益があると篤い信仰を集めています。
以下、上野大仏の歴史および、境内見どころについてご紹介しましょう!
寛永寺・上野大仏
創建年
- 1631年(寛永8年/江戸時代前期)
再建年
- 1658年 – 1661年(万治年間/江戸時代後期)※1655年 – 1658年/明暦年間とも
- 1855年(安政2年)
発願者
- 越後村上藩主・堀直寄
所属
- 東叡山 寛永寺
項・一覧
上野大仏(東京上野)の境内見どころ
大仏山
現在の上野公園は台地になっており、さらにその台地の中でもこの上野大仏の一帯のみ盛り上がり、丘陵状態になっています。
⬆️写真のように上野大仏へ行くためには石段を登って行かねばならない
ここは古来、知る人の中では「大仏山」と呼ばれる場所であり、名前の通り、この場所には「上野大仏」と呼ばれる坐像姿の大仏が鎮座していたのです。
パゴダ(仏塔)
高さ15メートルのパゴダ(仏塔)です。ミャンマー、ビルマ形式の仏塔です。
- 発願者:上野観光連盟
- 奉寄進:大成建設株式会社
- 竣工年:1967年(昭和42年)7月吉日
パゴダの内部中央には、寛永寺の秘宝薬師如来像、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩が安置されています。この薬師三尊像は、江戸末期まで上野東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、明治初期の神仏分離令により寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられました。
内部の写真
※この写真はお借りしたものです。現在、内部の写真撮影は禁止されています。
内部の仏像配置図
- 右脇侍:日光菩薩
- 中座:薬師瑠璃光如来
- 左脇侍:月光菩薩
上野大仏
パゴダの左側に、上野大仏のご尊顔があります。遠くから見ても存在感のあるお姿です。唇にうっすら紅の跡が残されています。
合掌でお参りした後は、大仏様の顔にやさしく触れましょう。大仏様の顔の下には、在りし日のお姿の写真が2枚、額に入れて置かれています。
左側の写真。
右側の写真。
上野大仏の大きさ
上野大仏は時代を下りながら幾度か再建されていますが、初代・上野大仏は漆喰(しっくい)製の丈六(約4.8メートル以上)の坐像姿の大仏だったようです。
しかしながら、正保4年に起きた地震により倒壊したとのこと。その後、明暦になったから木喰上人が唐銅を用いた二丈二尺(約6メートル60センチ)の大仏を再建しています。
上野大仏が顔だけの理由
元禄時代に入り、公弁法親王が露座の大仏を覆う大仏殿を造営していますが、天保12年にこの大仏殿から出火し、堂宇や大仏の首が落ちるという惨事に見舞われています。
この2年後となる天保14年に再建されつつも、再び、安政2年の大地震により首が落ち、この後に再び修復され、明治維新まで残ります。
ところが今度は関東大震災に見舞われ、再び首が落ち、以来、再建されることなく、その後追い打ちをかけるように第二次世界大戦時の供出命令により、首が持ち出され、かろうじて顔のみがパゴダ薬師堂前の覆屋の中に安置される運びとなっています。
ミニガーデン
上野大仏の授与所(寺務所)の奥にはミニガーデン(庭園)があります。
何の植物が植栽されているのかよく分からない。‥‥‥が!よく茂っている。この一画だけジャングルができあがっている。
ミニガーデン奥のお地蔵さん
境内で唯一、謎なのがこの斎場。石?のような地蔵?‥‥が祀られている。
中座に見える石コロコロどこいった‥‥‥。この形状を推察するに、かつてはお地蔵さんだったのではないかと考えられる。
不自然な置物
器状になっている。‥‥‥ということはこれはひょっとして植木鉢か?
いずれにしても変わった形状をした置物である。
時の鐘(鐘楼と梵鐘)
上野大仏の薬師堂を正面に見て左脇に目をやると鐘楼と梵鐘が見えます。
この鐘は通称・時の鐘と呼ばれ、1669年(寛文9年)に柏木大助が幕府に願い出て造営したものです。
現在でも朝6時・正午(12時)・午後6時に撞かれています。
この鐘は過去に幾度か改鋳されているのですが、現在の鐘は天明七年(1787)に改鋳されたものです。
松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」は時の鐘を読んだものです。
台東区教育委員会による説明書きがあります。時の鐘は、1996年6月に環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれたといいます。
お地蔵様
パゴダのすぐ近くには、お地蔵様がいらっしゃいます。合掌礼拝いたしましょう。
萬霊供養塔
お地蔵様の右隣りの奥には、「萬霊供養塔」が建てられています。
八角宝塔
石造の八角宝塔です。しっかりとした造りで大変立派です。
パゴダ薬師堂の本尊は「薬師如来」!
パゴダ薬師堂の本尊は薬師如来です。パゴダ薬師堂の前に、東叡山寛永寺パゴダ薬師堂による説明書きがあります。
心と身体の健康祈願
薬師如来は、大医王仏とも称される生命を病苦から救う仏様です。
薬師如来への祈願の仕方
- 先ず、薬師如来の絵馬を札所にて授かる
- 願意と願主のお名前を記入する
- その絵馬を合掌(両手)に挟みこみ、パゴダ正面にて一礼。
- 次にそのまま時計回りにご真言を唱えながらパゴダの周りを一周する
- 正面に戻ってきたら一礼
- 絵馬をかけて祈願完了
※一回りする間に7回、次のご真言を唱えましょう。
上野大仏の本尊は「釈迦如来」!
上野大仏の本尊は釈迦如来です。境内には、寛永寺教化部による上野大仏の説明書きがあり、在りし日の大仏殿と大仏様の写真を見ることができます。
上野大仏のおみくじ
上野大仏の授与所(寺務所)の前には「おみくじ」3種類ありますが、
寺務員さんにお聞きしたところ、この中に1つだけ上野大仏名物のおみくじがあるのですが、そのおみくじが「万葉集恋みくじ」です。
万葉集おみくじとは、名前の通り、万葉集に登場する和歌にちなんだおみくじです。
⬆️実際に引いた結果…なんとぉぅっ!「中吉」!今年はもらった! …なにがや
ちなみにこのおみくじ、近隣の清水観音堂の本堂内にも置かれていることから、完全な上野大仏オリジナルおみくじでは、ないようでガンす。
上野大仏のご利益
- 開運福徳 (特に開運招福)
- 学問 (特に受験合格)
- 救済 (特に衆生救済・滅罪、煩悩滅除、慈悲)
上野大仏の歴史・由緒(年表)
江戸時代
元和4年(1618年)頃
越後(現在の新潟県)村上藩主堀直寄は、幕府より上野に賜った藩邸(上屋敷)に「凌雲院」という庭園が附属した寺院を築く。
後、2代目の徳川秀忠、3代目の家光らもこの屋敷を訪れている。
寛永2年(1625年)
天海僧正の発意で寛永寺が創建されることになるが、幕府の寛大な取り計らいにより、堀直寄が上野に賜った藩邸(上屋敷)を立ち退くことなかった。
堀直寄は寛永寺創建に際し、大仏殿のほか、祇園堂などを寄進している。
ちなみにこの当時の堀家の凌雲院は、隣地に建つ、藤堂家の寒松院と並び称されるほどの寺勢を誇った。(この当時、寒松院を凌いで寛永寺最大の塔頭だったとか。)
寛永8年(1631年)
堀直寄公が戦乱によって亡くなった敵味方の冥福を祈るため、上野に与えられた藩邸(自宅)に漆喰の釈迦如来坐像を建立。
当初の大仏の高さは丈6尺(約5m強)とされる説が定説だが、2m80㎝前後とされる説がある。
なお、当初の大仏は粘土を漆喰で塗り固めた簡素な造りだったとされることから、5mではなく、2m80㎝前後と拝察する。
正保4年(1647年)
丹沢(神奈川県北西部)を震源とする地震により、堀直寄が建てた大仏(上野大仏)が倒壊する。
万治3年(1660年)
木喰僧浄雲師が青銅製の2丈2尺(約6m50㎝)の大仏を復興。
元禄11年(1698年)
輪王寺宮公弁法親王(東叡山寛永寺の住職)が同像を風雨から覆うため、大仏殿を建立す。
⬆️往時の上野大仏・大仏殿 (国立国会図書館より)
天保12年(1841年)
火災により大仏、仏殿が損壊。
天保14年(1843年)
造立者である「堀直寄」の子孫、越後・村松藩主(堀家8代)堀直央の寄進により大仏を新鋳再建。幕府が仏殿を修復。
安政2年(1855年)
安政地震により損壊。頭部が破損するが、再び堀直央の寄進により修復。
明治時代
明治6年(1873年)
上野公園開設の際に仏殿が取り壊される。※年代については他に明治9年(1876)・明治10年(1877)の二説あり。
大正時代
大正12年(1923年)
関東大震災によって頭部が落ち大破。解体撤去した胴部以下は寛永寺が撤去し、保管。
昭和時代
昭和15年(1940年)
第2次世界大戦に軍需品製造の供出令により、大仏顔面部以外の部分(体・脚部)が徴用される。面部のみが寛永寺に残る。
昭和42年(1967年)
関東大震災の50回忌にあたり、「パゴダ」が上野観光連盟の発願により建設される。
昭和47年(1972年)
春、旧地に迎えられた大仏は造立当初よりも像容が一回り大きくなったようですが、「これ以上、落ちない合格大仏」として広く崇敬が寄せられています。
寛永寺が丘陵上野左手に壁面を設け「上野大仏」の顔をレリーフ状に奉安。
上野大仏の場所とアクセス
上野大仏の最寄駅
- JR上野駅(公園口)
最寄駅からの所要時間
- JR上野駅(公園口)から徒歩約5分
上野大仏の場所(地図)
上野大仏は、フランス料理の老舗「上野精養軒」付近の丘にあります。
公園内各所の地図に「上野大仏」は載っていませんが、上野精養軒は地図に載っています。上野精養軒を目印に上野大仏へ参りましょう。
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