上野東照宮・神楽殿

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上野東照宮・神楽殿

  • 奉納年:1847年(明治7年)4月
  • 奉納者:橋本富八・尾崎善六の他、有志一同

上野東照宮の四半敷きの参道を進むと、やがて五重塔が見えてくるのですが、その足元あたりに古めかしい舞台付きの建物が見えてきます。

この建造物こそが神楽殿(かぐらでん)と呼ばれるものです。

上野東照宮・神楽殿の歴史

この神楽殿は深川木場組合より奉納されたもので、新時代の幕開けを記念する意味合いと、他界した組合仲間の慰霊のために当時の木場組合(渡世組合)頭取であった橋本富八・尾崎善六が発起人となって寄付を募り、当宮へ奉納したと伝えられてい‥‥申す。

奉献当初は屋根の美しさは都内随一とも云われ、多くの人々の関心を寄せたとな。オホっ




神楽殿の見どころ

扁額(へんがく)

この扁額は美作国・津山藩8代藩主である「徳川斉民」の筆によるもので『材木渡来中』と書かれてい‥‥申す。

「確堂」という号を有し、傲慢になりがちの治世の君主ながら、誠実な人柄で人望を集め、多くの家臣・旗本からの忠義が厚かったとな。

徳川斉民の父にあたる人物こそが、11代将軍「徳川家斉」となり申す。

12代目将軍「徳川家慶」は異母兄にあたり申す。

神楽殿とは?

神楽殿は「神楽」という神様へ奉納するための舞を披露する場所であることから、神楽殿と命名されてい‥‥‥申す。

神楽殿という名前は上野東照宮のこの建造物のみに付されたものではなく、付近の神社で例えると浅草神社の境内にも神楽殿があり申す。

神楽の名前の由来とは?

神楽は「神座(かむくら/かみくら)が転じて、「かぐら」に着地したと見られていますが、別の解釈としては神が舞や雅楽などによる演奏を楽しむ場所と書いて「神楽」とも。

神座とは、「神の宿る所」を意味し、神楽を舞うことで神の降臨を促し、神が宿る所となることから、神楽と呼ばれるようになったと云われます。

お神楽の起源とは?

このようなお神楽、すなわち舞の起源は記紀に記された「天照大御神の岩戸隠れの折、アメノウズメ命が激しく踊った、踊りが起源とされてい‥‥申す。

えっ?お神楽はもともと野外で披露されていた?!

今日のお神楽はご祈祷を受けた時や祭典の折、神社の社殿の中で行われるのが通例ですが、鎌倉時代以前は建物外で舞うのが普通でした。

しかし、およそ鎌倉時代を過ぎたあたりから建物の中で舞われる機会が増え、その建物は今日の神楽殿の在り方に見られるように、神楽を舞うためだけの専用の建物として切り離されていくことになったのです。

現在の神楽殿ではお神楽のみならず、地域の伝統芸能を継承するための施設としての側面を有し、上野東照宮においてもその例外なく、伝統芸能や雅楽の演奏の場として活用されてい‥‥申す。

神楽殿の場所

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